鹿王院(京都)
長い参道が鮮やかに色づく紅葉の穴場スポット
- 11月中旬~12月上旬
- 社寺
- 駅近
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京福電気鉄道株式会社(本社:京都市中京区、社長:大塚憲郎)の嵐電(嵐山本線・北野線)沿線でも屈指の古刹として知られる覚雄山(かくゆうざん)鹿王院(ろくおういん)(京都市右京区)では、京都市指定名勝の庭園に佇む舎利殿(または駄都殿(だとでん))が、1763年の移築以来初となる大規模修復を終え、本年10月に落慶しました。
京福電気鉄道は経営ビジョン「沿線深耕」をテーマに、沿線の隠れた名所のご紹介を通じ、地域の魅力の発信と観光分散化に取り組んできました。舎利殿修復落慶を機に、室町幕府第3代将軍・足利義満が、鹿苑寺(金閣寺)に先がけて建立、鎌倉の円覚寺舎利殿ともえにしを持つ鹿王院に、この秋、公共交通機関をご利用いただきぜひお参りください。
足利義満が自らの延命長寿を祈願し、天龍寺などを建立した夢窓疎石(むそうそせき)の甥・後継者で、帰依していた禅僧・普明国師(ふみょうこくし)(春屋妙葩(しゅんおくみょうは))に命じ1380年に建立させた、「覚雄山 大福田 宝幢禅寺(ほうどうぜんじ)」の開山塔(開山である普明国師(春屋妙葩)の墓所)が鹿王院です。 南禅寺・天龍寺・相国寺などの五山に次ぐ「京都十刹(じっさつ)」第五位となり、1405年には一休宗純も門前での講義を聞きに訪れた宝幢禅寺は、応仁・文明の乱(1467年~1477年)で焼失。宝幢禅寺は断絶しましたが、鹿王院だけは春屋妙葩一門により再建されました。豊臣政権時代、1596年の慶長・伏見大地震で伽藍が倒壊しましたが、江戸時代前期の1676年に昭堂(開山堂と本堂)を再建、江戸時代中期の1763年には舎利殿を現在の場所に移築、今日に至っています。
今回の修復は、舎利殿が今の場所に移築されて258年目となる2021年の1月から始まり、2023年10月に完了しました。250年を超える歴史に加え、1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)や近年の台風などによる傷みを修復すべく、約20年前から検討を始め、今回、京都府教育委員会の指導のもと、京都府及び京都市の補助を受けて施工されました。屋根瓦の全面葺き替え、建物内外の壁の塗り直しをはじめ、経年で傷んだ箇所を修復、嵐山を借景とする往時の美しい姿に甦り、本年10月1日から3年ぶりに公開を再開しました。
●詳細及びお申し込みは鹿王院夜間特別拝観2023特設サイトをご参照ください。
https://mzt3p.hp.peraichi.com/