三溪園(神奈川)
横浜で古都の風情の紅葉を愛でる
- 11月中旬~12月中旬
- 公園・庭園
- 社寺
- ★★★★★1
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国指定名勝「三溪園」(所在地:横浜市中区)では、2022年11月23日(水・祝)~12 月11 日(日)の金・土・日・祝日に『三溪園完成100周年記念 紅葉ライトアップ』を開催します。
完成100周年の今年は、ライトアップエリアを拡大し、三溪園のシンボルである三重塔まで夜間散策できるコースをご用意します。期間中は、園内随一の紅葉スポットである遊歩道の開放、朝8時から入園できる特別チケットの販売もあわせて行います。色とりどりの紅葉が織りなす昼と夜それぞれの絶景を横浜でご堪能ください。
三溪園内には、17棟の歴史的価値の高い建造物が配置され、うち10棟が重要文化財に指定されています。園の創設者である原三溪は、廃仏毀釈等による荒廃から日本の伝統文化を護り伝えるべく、京都や鎌倉などから歴史的建造物の移築をおこないました。1922年に「聴秋閣」の移築の完了をもって三溪園が完成し、今年、完成から100年目を迎えます。
四季折々の景色が楽しめる三溪園ですが、紅葉シーズンには、色あざやかな紅葉と重要文化財建造物が織りなす絶景を楽しむことができます。例年、約3万人の方が訪れる関東の紅葉の名所となっています。
ジャンパンゴールドを基調とした色味で演出する紅葉や歴史的建造物のライトアップに加え、三溪園のシンボルである「旧燈明寺三重塔」まで散策できるコースをご用意します。
やわらかい光に導かれるように、幻想的な空間を抜けていくと、三重塔が黄金色に輝く、非日常的な景色が広がります。室町時代の1457年に建てられた重要文化財の三重塔が輝く姿を間近で見ることができるのは、今年初めてです。
通常の開園時間より1時間早い8時から入園できる特別チケットをご用意します。1日50名様限定なので、混雑を避け、朝の静かな時間に、紅葉の観賞や撮影をゆったりと楽しむことができます。
三溪園を代表する紅葉スポットである重要文化財建造物「聴秋閣」奥の遊歩道を、期間限定で一般開放します。移築前は「三笠閣」と呼ばれていましたが、原三溪は周辺に大きな石を配し、渓谷として紅葉などを植栽し、名を「聴秋閣」と改め、秋に紅葉を楽しむ風情を創出しました。
三溪園完成100周年特別企画として、ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜で人気の和アフタヌーンティー「濱茶膳」と三溪園での散策をゆったり堪能いただけるプレミアムツアーです。内苑の景観の中心である「臨春閣」、園内随一の紅葉スポット「聴秋閣」奥に広がる遊歩道の散策、金色のイチョウが美しい「春草廬(しゅんそうろ)」での呈茶など、変化に富んだ秋の景色をお楽しみいただけます。
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家・原三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開。175,000㎡に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されている。2007年(平成19)に国の名勝に指定。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)
原 三溪(本名富太郎)(1868年/慶応4-1939年/昭和14) 岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれる。幼少の頃から絵・漢学・詩文を学び、1885年(明治18)東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学ぶ。1888年(明治21)頃に跡見学校の助教師になり、1891年(明治24)、原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し原家に入籍。原家の家業を継ぐと、経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収める。住まいを本牧・三之谷へ移すと古建築の移築を開始し、1906年(明治39)三溪園を無料開園。1923年(大正12)の関東大震災後は、荒廃した横浜の復興に力を注ぐ。三溪自身も書画をたしなみ、その作品の一部は、園内の三溪記念館に収蔵されている。