三溪園(神奈川)
横浜で古都の風情の紅葉を愛でる
- 11月中旬~12月中旬
- 公園・庭園
- 社寺
- ★★★★★1
こちらの記事は公開されてから時間が経過しています。情報が古い可能性がございますので、ご注意ください。
国指定名勝「三溪園」(所在地:横浜市中区)では、2023年10月26日(木)~11月23日(木・祝)まで、個性豊かな色や形を持つ約500点の菊花をそろえた「菊花展」を開催します。期間中は、菊花の展示に加え、県内トップクラスの菊づくり名人たちが菊の歴史や栽培方法などをご紹介する「見どころトーク」や、合掌造りの旧矢箆原家住宅内ではフラワーデザイナーによる菊のフラワーアレンジメントも開催します。
1964年から続く本展は、今年で第60回を迎える横浜市最大規模の菊花展示会です。江戸時代から品種改良がおこなわれ、現在では海外でも人気となっている菊の魅力をより深く知ることができる機会です。
中央広場では、「横浜菊花会」による大菊・古典菊などを展示。花の直径が18㎝以上の「大菊」、折れたり曲がったりした花弁を持つ「江戸菊」「古典三菊」など、約430点の色や形が豊かな菊花がそろいます。
正門藤棚広場では、「小菊盆栽芸術協会長生会」による「小菊盆栽」、庭園などを表現した「盆景」など約70点を展示。三溪園や神奈川の名所風景を小菊で表現した作品の数々をお楽しみいただけます。
神奈川県内トップクラスの技術を誇る「横浜菊花会」の菊名人たちが、栽培が難しいと言われる菊花のお手入れのコツや観賞ポイントなどをご紹介します。
国内最大級の合掌造りである「旧矢(きゅうや)箆(の)原家(はらけ)住宅」(重要文化財)に、フラワーデザイナー五十嵐道子氏が建物内の古民具などを使用して菊花を中心に生け込みしたフラワーアレンジメントの展示をおこないます。菊花展ならではの大菊などを使った迫力あるフラワーアレンジメントの数々で彩られた古民家の姿をお楽しみください。
2008年にオーダーメイド花屋「包kurumi」を設立。現場で花を生ける「生け込み」を中心にフラワーアレンジメントを手掛ける。
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家・原三溪によって創られ、1906(明治39)年5月1日に一般公開されました。約17.5ha(東京ドーム約3.7個分)に及ぶ園内には、廃仏毀釈などによる荒廃から守るため、京都や鎌倉などから移築された歴史的価値の高い建造物が巧みに配置されており、古建築と自然が調和した四季折々の景色が楽しめる日本庭園です。開園当初は「遊覧御随意」を掲げ外苑を24時間無料開放するなど、「美しいものはみんなで一緒に楽しむもの」という原三溪の想いが反映されています。原三溪の存命中は新進芸術家の育成と支援の場ともなり、横山大観、下村観山、前田青邨らを輩出するなど、日本美術への貢献も評価されています。戦災により大きな被害をうけ、1953(昭和28)年に原家から横浜市に譲渡されるのを機に財団法人三溪園保勝会が設立され、現在に至ります。2007(平成19)年には国の名勝に指定され、現在園内にある17棟の古建築のうち10棟が重要文化財、3棟が横浜市指定有形文化財に指定されています。
原 三溪(本名 富太郎)<1868(慶応4)年‐1939(昭和14)年>
岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれる。幼少の頃から絵・漢学・詩文を学び、1885(明治18)年、東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学ぶ。1888(明治21)年頃に跡見学校の助教師になり、1891(明治24)年、原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し原家に入籍。原家の家業を継ぐと、経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収める。住まいを本牧・三之谷へ移すと古建築の移築を開始し、1906(明治39)年、三溪園を無料開園。1923(大正12)年の関東大震災後は、荒廃した横浜の復興に力を注ぐ。三溪自身も書画をたしなみ、その作品の一部は、園内の三溪記念館に収蔵されている。